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水戸地方裁判所 昭和26年(ワ)3号 判決

原告 合名会社稲田商店

被告 中野慶吉

一、主  文

原告の請求は之を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

二、事  実

原告訴訟代理人は、被告は原告所有の登録商標第三七五〇九号清酒「稲田姫」の商標を使用してはならない、被告は原告に対し金六十万円を支払え、訴訟費用は被告の負担とするとの判決並に金銭支払の部分に限り仮執行の宣言を求め、其の請求の原因として、原告会社は昭和二十四年九月三十日訴外稲田元良から其の所有の登録番号第三七五〇九号第三十八類清酒「稲田姫」なる文字商標権(昭和二十二年九月十五日出願昭和二十三年十一月二十日公告昭和二十四年三月十六日査定同年四月十六日登録、以下本件商標権と称する。)の譲渡を受け、同年十月三日受附第六二二三号を以て之が取得登録を了した。然るところ被告は、昭和十四年十月十三日から引続き何等権限なくして擅に右「稲田姫」なる本件商標を「登録商標醸造元茨城県稲田駅前中野慶吉」と表示して自己醸造の清酒に貼付使用して之を販売し、原告の本件商標権を故意に侵害しつつある。而して、(一)原告会社は被告の右侵害行為に因り本件商標権の分権又は共有譲渡価格金三十三万七千五百円(この価格は昭和八年六月共有契約により原告会社所有に係る本件商標と同一文字の登録番号第一六三二〇一号商標権の一部を代金千円で譲渡した実績に鑑み、昭和八年六月当時の物価指数を一とするときは昭和二十六年四月は三六〇となり、又昭和八年六月末銀行券発行高を一とするときは昭和二十六年五月末は三一五となるから、昭和八年六月当時の金千円は現在の価格にして金千円に右両者の平均数三三七、五倍を乗じて算出した金三十三万七千五百円に相当する。)と同額の損害を蒙り、(二)次に原告会社若くは其の前主訴外稲田元良は被告の右侵害行為に因り之が調査並に本訴訟提起等のため原告訴訟代理人に対し、(イ)昭和二十四年四月二十日に手数料として金三千円を、(ロ)同年七月二十三日に上京旅費として金四万三千八百八十円を、(ハ)同年十一月二十五日に東京、水戸出張旅費として金五万円を、(ニ)昭和二十六年二月六日に同月九日の口頭弁論期日出頭のため米子市から水戸市までの往復旅費として金三万三千七百四十円を、(ホ)同年四月三日に同月六日の同期日出頭のため同旅費として金三万三千七百四十円を、(ヘ)同年五月十五日に同月十八日の同期日出頭のため同旅費として金三万三千七百四十円を、(ト)同年十月二日に同月五日の同期日出頭のため同旅費として金三万三千七百四十円を夫々支払い、以上支出合計金二十三万千八百四十円と同額の損害を蒙つた。(三)更に原告会社は被告の右侵害行為に因つて精神上多大の苦痛を蒙つたから、被告は原告会社に対し右(一)及び(二)の財産上の損害合計金五十六万九千三百四十円を賠償すると共に、原告の蒙つた精神上の苦痛を慰藉すべき義務がある。そして右慰藉料の額は金三万六百六十円を相当とする。よつて茲に被告に対し本件商標権に基き之が商標の使用禁止を求め併せて敍上損害及び慰藉料合計金六十万円の支払を求めると陳述し、なお前述(二)の(イ)及び(ロ)の各金員支出による損害賠償債権は原告会社が昭和二十四年九月三十日其の前主訴外稲田元良から同人の営業譲渡と共に本件商標権の譲渡を受けた際、右各債権の譲渡も受けたものであると釈明し、被告の答弁に対し訴外稲田醸造株式会社の大正十一年から昭和十二年までの清酒造石高が被告主張の通りであることは認めるが、其の余の被告主張事実特に被告が善意の使用者である点は之を否認する。原告会社は大正十二年五月十一日指定商品を清酒とし、本件商標と同一文字の商標の登録出願を為し、大正十三年十月六日登録番号第一六三二〇一号を以て登録され、右第一六三二〇一号商標権を所有専用していたところ、被告が代表取締役をしている訴外稲田醸造株式会社が原告に無断で昭和八年東京に於てその販売清酒に「稲田姫」なる商標を使用しているのを発見したので被告に対し其の使用禁止方を申入れたところ、被告から分権方の懇請があつたので、同年六月二十六日代金千円で右訴外会社に共有として分権することになり、被告が其の代表者となつて原告会社との間に共有契約が成立し、同年七月十八日其の旨の登録を経由したのであるが、右第一六三二〇一号商標権は其の後昭和十九年十月六日二十ケ年の期間満了によつて消滅したので、原告会社は其の代表者たる訴外稲田元良個人名義で更に昭和二十二年九月十五日本件商標権の登録出願を為し、昭和二十四年四月十六日之が登録を了したのである。従つて仮に被告が前記訴外会社から其の営業と共に「稲田姫」なる商標の使用を承継したとするも、被告は同訴外会社の代表取締役として昭和八年六月二十六日原告会社との前述共有契約による取得登録の事実を知り乍ら、其の存続期間中である昭和十四年十月十三日から共有権者たる原告会社に無断で之を使用していたのであるから其の使用は善意とは謂い難い。若し被告に善意の存在するものがあれば本件商標権は昭和二十三年十一月二十日商標公報によつて公告されたから、其の法定期間内に商標法第二十四条に基き特許法第七十四条の準用により登録異議の申立ができるのに、被告は之をしなかつた事実から見ても被告は悪意の使用者であることが明白であると述べた。<立証省略>

被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として原告主張の事実のうち被告が昭和十四年十月十三日から引続き其の販売する清酒に「稲田姫」なる文字を含む商標を貼付使用していることは認めるが、其の余の事実は全部不知又は否認する。仮に原告が其の主張のように訴外稲田元良から同人所有の「稲田姫」なる登録番号第三七五〇九号商標権の譲渡を受け其の登録を了したとするも被告使用の右商標は次に述べるが如く、原告の前主訴外稲田元良の本件商標の登録出願前より取引者及び需要者間に広く認識された標章であつて、且つ被告は当初より自己の商標として不正競争の意思なく善意に之を使用して来たものであるから、被告は商標法第九条第一項により之が継続使用権を有する。即ち被告は原告の前主訴外稲田元良が本件商標の登録出願を為した昭和二十二年九月十五日以前である昭和十四年十月十三日訴外稲田醸造株式会社からその営業と共に右商標の使用を承継したのであるが、同訴外会社(水戸線稲田駅前所在)は大正十一年十月三十一日酒類の醸造販売を目的とし、資本金五十万円で創立せられ、創立後直ちに清酒の醸造に着手し、傍ら他醸造業者より清酒を買入れ販売を開始し、なお自ら醸造した清酒は大正十二年二月頃から販売し始めた。而して同訴外会社は同地所在の稲田姫神社にちなんで其の販売する清酒の商標を「稲田姫」と定め、右営業開始以来昭和十四年十月十三日被告にその営業を譲渡するまで十七年間終始一貫清酒の販売に関する唯一の商標として之を使用し来たつたものであつて、同訴外会社の大正十一年から昭和十二年迄の年度別清酒造石高は別紙<省略>記載の通り一年間の平均造石高八百三十五石余に達し(昭和十三年以後は経済統制のため造石高激減したけれども、現在では再び戦前の水準に向い次第に回復しつつある。)其の販路は茨城県下のみならず、昭和三年以降は東京方面にも進出し、その品質優良にして品評会に於て優等金杯を授与せられたこともある位で右商標は既に広く取引者及び需要者間に周知せられていたのである。而して被告は昭和六年頃より右訴外会社の代表取締役に就任し之が営業を継続して来たが、税金の関係から個人営業に切替えることになり、昭和十四年十月十三日被告において右訴外会社から其の営業を譲受けると共に右商標の使用をも承継し、現在に至るまで之が使用を継続しているのであつて、其の間何等不正競争の目的なく、全く善意の使用であることは前述の商標選定の経緯等に徴し明らかであるから、被告は商標法第九条第一項により右商標を継続して使用し得るものと謂うべく、従つて原告の本訴請求は其の理由がない。のみならず、商標権侵害に因る損害賠償を求めるには右侵害に因つて実際に蒙つた損害を立証すべきものであつて、原告主張の所謂分権価格なるものを以て損害と称することはできないと述べ、被告の答弁に対する原告の主張について原告がかつて本件「稲田姫」なる商標と同一文字の登録番号第一六三二〇一号商標権(大正十二年五月十一日出願大正十三年十月六日登録)を所有していたこと、昭和八年六月二十六日原告会社と訴外稲田醸造株式会社との間に右第一六三二〇一号商標権を共有とする旨の契約が成立し、原告主張の日其の旨の登録を経由したこと、右第一六三二〇一号商標権が原告主張の日期間満了によつて消滅したこと及び、被告が本件第三七五〇九号商標権につき法定期間内に異議申立をしなかつたことはいずれも認めるが、其の余の原告主張事実は否認する。而して右共有契約が成立するに至るまでの事情は次の通りである。即ち右訴外会社は前述の如く大正十一年から其の販売する清酒に郷土の稲田姫神社にちなんだ「稲田姫」なる標章を付し原告会社が右第一六三二〇一号の登録出願前より使用して来たところ、原告会社は昭和七年末頃より数回に亘り右訴外会社に対し右の使用は原告会社の右商標権を侵害するものであるから、民事上のみならず刑事上の責任をも追及する旨申入れがあつた。訴外会社は右申入れに対し商標法第九条第一項の継続使用権を以て対抗し得たのであるが、訴訟の煩を避け示談解決するを得策と考えたため、昭和八年六月二十六日原告会社代理人弁護士松浦茂明との間に代金千円で原告主張のような共有契約を為し其の登録を了したのである。然るに原告会社は右第一六三二〇一号商標権の消滅後被告及び訴外会社に断りなく原告会社代表者稲田元良の個人名義で単独にて本件第三七五〇九号商標権の登録を了した上被告に対し「本件商標権を共有とする対価として金三十万円を交付せよ。」と要求し、被告に之を拒絶せられるや原告訴訟代理人は被告を商標法違反罪として水戸地方検察庁に告発したが、右告発事件は昭和二十五年十一月三十日罪とならずとして不起訴裁定せられたのであつて、これを以て見るも本件紛争の実体は以上陳述の如く訴外会社及び被告が商標登録の手続に疎いのを奇貨として商標権共有料の名の下に被告に対し手を替え品を替えて不当の金員の交付を要求するものに外ならないのである。

原告は昭和八年六月二十六日の前述共有契約による取得登録の際被告が訴外会社の代表取締役として之に関与し、右事実を知り乍ら昭和十四年十月十三日以降「稲田姫」なる商標を使用しているのであるから、被告は悪意の使用者である旨主張するけれども、商標法第九条第一項に所謂「善意」とは民法又は商法におけると用例を異にし、他人の商標の存在を知ると否とを問わず専ら営業上の道徳観念により判断すべきものとされ、「何等不正競争を為す意思なく」の意味に解すべきである。而して被告が昭和十四年十月十三日訴外会社から其の営業譲渡を受けたのは前述の如く税金の都合のためであつたが、実体は訴外会社と判然区別し得るものではなく、被告は従前使用し来つた商標をそのまま使用したに過ぎない。被告は原告会社が果して本件商標を使用して清酒を販売しているか否かを知らないし、又その声価の如何なるやを知らないから被告は之を不正競争に利用する術もないのである。従つて被告が仮令昭和八年六月二十六日の前述第一六三二〇一号商標権の共有契約に関与し、之を知つたとしても商標法第九条第一項所定の善意の要件を欠くものではない。又被告が本件商標権の登録前法定期間内に異議の申立をしなかつたからと言つて、右法条による継続使用権に何等の消長を来たすものではないと述べた。<立証省略>

三、理  由

成立に争のない甲第一号証の記載によれば原告会社が昭和二十四年九月三十日訴外稲田元良から「稲田姫」なる本件第三七五〇九号商標権(指定商品第三十八類清酒、昭和二十二年九月十五日出願、昭和二十四年四月十六日登録)の譲渡を受け同年十月六日受附第六二二三号を以て其の取得登録を了したことを認めることができるから原告会社は商標法第七条に依り本件商標の専用権を有すること明らかである。

然るに被告において昭和十四年十月十三日から引続き其の販売する清酒に「稲田姫」なる文字を含む商標を貼付使用していることは被告の自認するところ、被告は被告使用の右商標は原告の前主訴外稲田元良が本件商標の登録出願を為す前より取引者及び需要者間に広く認識された標章であり、且つ被告は当初より自己の商標として何等不正競争の意思なく善意に之を使用して来たものであるから商標法第九条第一項により之が継続使用権を有する旨主張するので先づこの点につき審按するに、成立に争のない乙第一号証及び同第三号証の一乃至三と証人中山登の証言並に被告本人尋問の結果を綜合すれば、訴外稲田醸造株式会社(茨城県西茨城郡西山内村稲田所在)は、酒類の醸造販売を目的として大正十一年十二月四日設立登記を了した資本金五十万円の株式会社であるが、右設立以来其の醸造販売に係る清酒に郷土の県社稲田姫神社にちなんで「稲田姫」なる標章を附し、これを唯一の商標として販売して来たものであること、被告は昭和六年頃から右訴外会社の代表取締役となり同会社の営業一切を主宰して来たが、昭和十四年に至り税金の都合上個人経営に切替える必要にせまられたので、同年十月十三日被告は右訴外会社から其の営業の譲渡を受けたけれども、其の実体には殆んど変化なく右営業譲渡と共に右商標の使用をも承継し爾来何等不正競争の意思なく善意に之が使用を継続して来たものであること及び、右訴外会社の大正十一年から昭和十二年までの年度別清酒造石高は別紙記載の通りであつて、一年間の平均造石高は八百三十五石余に達し(この石数高については当事者間に争がない。)茨城県下のみならず、昭和五、六年頃からは東京方面にも進出して販売されて来たため、右商標は前示本件第三七五〇九号商標登録前既に取引者及び需要者間に広く認識されていたことを夫々認めることができるのである。然るところ原告は被告の右善意使用者たることの反対事情として昭和八年六月二十六日原告会社と前記訴外会社との間に原告会社所有の本件商標と同一文字の登録番号第一六三二〇一号商標権(大正十二年五月十一日出願大正十三年十月六日登録昭和十九年十月六日二十ケ年の期間満了により消滅)につき共有契約が成立し、其の旨の取得登録を経由した際、被告は右訴外会社の代表取締役として之に関与し、右の事実を知り乍ら右第一六三二〇一号商標権の未だ存続期間中である昭和十四年十月十三日以降共有権者たる原告会社に無断で之を使用して来たこと及び、被告が本件第三七五〇九号商標権の登録前法定期間内に異議の申立をしなかつた事実(以上の事実中被告が右訴外会社の代表取締役として右共有契約に関与し之を知つていたこと及び被告が昭和十四年十月十三日以降原告会社に無断で使用したとの点を除き其の余はいずれも当事者間に争がなく、右除外部分は成立に争のない乙第一号証とこの点に関する証人稲田元良の証言に徴し之を認めることができる。)を挙げて主張するが、右事実だけでは前示被告の善意使用者たるの認定を覆すに足りない。なぜならば元来商標法が登録によつて商標の専用権を保護する目的は商標と一定の商品との関係を保持し、商標の誤認による商品の混同から招来する不正競争を防止せんとするに在ること並に同法第九条第一項制定の法意に鑑みるときは、同法第九条第一項に所謂「善意」とは被告の主張するように民法又は商法におけるそれと用例を異にし、他人の商標の存することを知りたると否とは直接に何等の関係なく専ら営業上の道徳観念により之を判断すべきであつて、(大正九年(オ)第一六九号同年五月二十一日大審院第一民事部判決参照)「他人の商標の名声を営業上に利用せんとする意思即ち不正競争の意思なく」との意味に解するを相当とするから、叙上の事実だけでは直ちに以て被告に不正競争の意思があつたものとは推認し難いからである。而して他に前示認定を左右するに足る証拠がない。

而して又商標法第九条第一項所定の「他人の登録商標の登録出願前」とは当該登録商標の出願前を言うものであつて、かつて同一の商標権があつたとしてもそれが既に期間満了によつて消滅に帰した以上右消滅した旧登録商標の登録出願前を指称するものでないこと同法条の解釈上言うまでもないところであるから、被告は本件商標登録があるに拘らず同法条に依り「稲田姫」なる標章の使用を継続し得るものと謂わなければならない。

果して以上の通りであるとすれば、被告の右標章の使用は原告の本件商標権の侵害とはならないわけであるから、右侵害を前提とする原告の本訴請求は他の争点につき判断をするまでもなく既にこの点において失当として棄却さるべきである。よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判官 広瀬友信)

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